染井霊園周辺に女性史を見る

9月10日(土)・11日(日)10:00~12:00
[巣鴨地域文化創造館 地域文化講座] 当会のメンバーが講師を務め、会の定番コースの中のにある「染井霊園」に眠る女性や居住していた女性を取り上げました。

江戸から明治、大正、昭和と時代が大きく動く中、いくつもの障害に出会いながらも、自立を目指した多くの女性にスポットをあて、染井霊園とその周辺を通して、これらの有名、無名の女性達の姿をご紹介しました。

1.江戸・明治・大正・昭和の女性史-権利獲得の歴史-

 

 

 

 

 

2、土方梅子 染井霊園に眠に眠る築地小劇場の舞台衣装家

大正時代「築地小劇場」を創設した演出家、土方与志の妻で舞台衣装家として、活躍をしました。
文学や演劇などへの偏見や検閲、太平洋戦争の勃発などの時代に演劇を作ることに情熱を注いだ二人の情熱が伝わりました。

3、青踏の女性達 巣鴨・駒込で女性の自立を謳う

【青踏】は平塚らいてう等5人の女性が発起人となり、明治44年から大正5年まで発行された、日本初の「女性による女性のための月刊誌」でした。駒込・巣鴨の地にも「青鞜社」が置かれ、平塚らいてう、伊藤野枝らが住むなど、身近な彼女たちの足跡をご紹介しました。

11日(日)は染井霊園に眠る,明治から昭和にかけて活躍した女性を取り上げ、案内をしました。

霊園ルート 本妙寺「千葉さな」→慈眼寺「比翼塚」→五島美代子→勝林寺→ケイト・ヤングマン→専修院→津田琴子(上野栄三郎)→荻野吟子(高階経徳)→楠本イネ(高良斎)→若松賤子福田英子土方梅子長沼千恵子→伊藤熹朔・千田是也→ローダスカ・ワイリック→高岩寺で解散です

本妙寺

 

 

 

 

 

 

本妙寺には北辰一刀流、千葉周作のお墓がある。弟の定吉の娘さな子は
10代で免許皆伝になる美貌の女剣士。坂本龍馬と婚約も。さな子は一生独身を通し、晩年は千葉鍼治院で生計を立てていた。お墓は甲府。

五島美代子

 

 

五島美代子(明治31年~昭和53年)は歌人で、1959年より美智子妃の
御歌指南。同墓所に眠る美代子の母、五島千代槌は、巣鴨にあった明治女学校を卒業、教鞭も取り、その後巣鴨に晩香女学校を設立。

 

ケイト・ヤングマン

 

ケイト・ヤングマンは明治6年アメリカから来日した宣教師。
ハンセン病施設「目黒慰廃園」を設立した。

若松 賤子

 

 

 

 

 

 

若松賤子は明治4年、宣教師のメアリー・エディ・キダーの英語塾(後のフェリス女学院)に入塾。バーネットの「小公子」「小公女」を翻訳した。夫の巌本善治は明治女学校の校長。賤子は「明治女学校」で教鞭を執った。

 

 

 

 

 

 

 

土方梅子は日本初の新劇の常設劇場、築地小劇場(大正13年)の創設者で
演出家、土方与志の妻で、舞台衣装を手掛けた。その波乱の人生も座学で紹介。

長沼智恵子

 

 

 

 

 

 

長沼智恵子は後に高村光太郎の妻、明治44年に「青踏」の表紙絵を描いた。

二日間で、駒込周辺に居住していた女性の文化人や、染井霊園に眠るあまり知られていない女性を、深堀して講演をしました。
参加者からは「まだ、知らないことが多かった」「詳しく分かって良かった」など色々感想を頂き、嬉しく思っています。

次回は「田端文士村を訪ねる」です。10月1日(土)から告知と募集をします。ハガキとホームページからもお申し込みができます。
ご応募お待ちしています。

飛鳥山の紫陽花と旧古河庭園のバラを訪ねる

2022年6月4日(土)。今年3月に催行したお花見ツアーに続いて、
2回目のガイドツアーです。お客様は13名。
今回は大正大学から2名の大学生がボランティアガイドに参加しています。

梅雨の合間の晴天が私たちを迎えてくれました。
旧古河庭園から飛鳥山公園まで、10時から約2時間の行程です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

庭師がお仕事中

 

 



バラの最盛期は過ぎていましたが、二番花がきれいに咲いています。
旧古河庭園は足尾銅山などの鉱山経営で財をなした、明治の財閥、古河家が造った庭園です。和と洋が其々独立した庭を造りながら、全体に調和がとられています。

4,5人のグループが3班に分かれて、それぞれにガイドをしています。少人数なので、歩きながらの会話も弾みました。
この庭園は「水」「石」「木」をバランスよく配置することで自然の雄大さや繊細さを表しています。当時の日本で最高の庭師と言われた7代目小川治兵衛がコンドルの洋館と共存するように作庭した池泉築山回遊式日本庭園です。

平塚神社

 

 

 

 

 

 

 

 

日陰を選んで、ガイドです。
平塚明神縁起絵巻によると、義家(八幡太郎)、義綱、義光(新羅三郎)兄弟が奥州凱陣の時、平塚城に逗留し、接待に感謝した義家が、十一面観音像と鎧を下賜(かし)したことが描かれています。

「平塚」の地名は義家が没した後、城の鎮護のため、拝領した鎧を埋納し、平らな塚の社を築いたことからといわれています。

女性像の散水塔

 

 

 

 

 

 

 

 

これは何だろうと、見上げています。女性像の上の方から、火事の時などに散水します。
滝野川公園は体育館や防災センターを作る工事の際、先土器時代から江戸時代までの複合遺跡が発見されたところです。現在、この周辺は防災センター、消防署、警察署、病院、体育館があり、滝野川公園を含めたこの一帯が総合的な防災拠点になっています。

七社神社

 

 

 

 

 

 

ガイドも茅の輪くぐりをして、穢れを祓っています。
七社神社は江戸時代には無量寺境内の裏山(旧古河庭園付近)にあり、七社(ななやしろ)として祀られていたといいます。
写真は夏越の大祓(なごしのおおはらえ)で、半年の間に、積もった罪と穢(けがれ)を払うという、茅の輪くぐりをしています。

 

 

 

 

 

 

資料も広げて、分かりやすく話をしています。
ここから旧渋沢庭園・渋沢家飛鳥山邸です。28,000㎡の広さの庭に日本館・洋館・茶室などいろいろな建物がありました。多くは昭和20年の空襲で焼失してしまいました。

皆さん、ステンドグラスを見てください!

 

 

 

 

 

 

 

青淵文庫は書庫として、渋沢栄一 の理念に共鳴した経済人らが組織した、
竜門社が1925年(大正14年)に栄一の傘寿と子爵に昇格したことを祝って、
贈呈しました。銅製の書棚などが備わっています。

茶席「無心庵」跡

 

 

 

 

 

 

 

 

今は茶席は昭和20年の空襲で、焼失していますが、明治32年(1899)に京都裏千家の茶席などを参考にして建てられていました。茶席の他に広間も設けられ、伝統的な中に新しい時代の茶席を感じさせたようです。
栄一は、静岡から東京に戻ってきた徳川慶喜と明治新政府の伊藤博文らをここで対面させて慶喜の名誉回復を図ったという逸話が残っています。

徳川吉宗の絵を掲げて

 

 

 

 

 

 

飛鳥山の碑を遠くに見て、案内をしています。
飛鳥山の碑は都の史跡に指定されていて、8代将軍吉宗が飛鳥山一帯を整備し、行楽地として庶民に解放した経緯などが記されています。桜の名所として付近に茶屋も出来ました。

飛鳥山公園は明治6年(1873)、わが国初の公園の一つとして、浅草・芝・上野・深川公園と共に認定されています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

飛鳥の小径は350メートルの細い道に50種、約1300株の紫陽花が植えられています。
ツアーはここで、自由散策となり解散です。

応募して下さいました皆様、ありがとうございました。
このツアーのお客様には「としま案内人雑司ヶ谷」の方など多方面からの方々が参加してくださいました。
参加して下さった方の感想は、
「このツアーは人数が制限されていて、話も聴きやすく安全・安心」
「ガイドスタッフに若い方が多く、元気よく活動できているので羨ましいです。」
「ボランティアガイドとしての誇りをもち、楽しんで説明していることが伝わって    くる、聞いていて楽しくなるような素敵なツアーでした。」
など、嬉しいお声が頂けました。

次回は10月の「田端文士村を訪ねる」です。
私達ガイドは今から資料集め、下見などを重ねて準備をしています。
皆さんが楽しめるように練習!練習!です。

 

谷田川源流から藍染川、根津神社まで

6月23日(水)
コロナ禍で街歩きガイドを自粛していますが、
今回は自主研修で巣鴨駅から根津神社までを
2時間半かけて、歩きました。

10時巣鴨駅を出発。

染井霊園に入りました。大正時代には無くなってしまった、
不忍池に注いでいた谷田川の水源、長池。
池は墓地から一段低くなっている所から想像し、
大きさなどを確認しました。
長さ約88間(158m)幅18間(32.4m)
あったと言われています。

 

 

 

 

長池からの川筋を歩きながら慈眼寺にある
芥川家(龍之介・也寸志)の墓を覗き見しました。

 

 

 

 

染井霊園の端にあるソメイヨシノの樹は、
植樹された当時を近所の方が知っていました。

染井銀座通り、霜降り銀座通りには昔ながらの
麺類専門店や雑貨屋さんがあります。

藍染川を暗渠にした、くねくねしたへび道を歩き、
根津神社へ向かいました。

チョットした買い物もしました。

旧 根津藍染町のプレートがありました。

ゴール地点の根津神社です。さて、何を撮っているのでしょうか。
森鴎外が日露戦争の際、持ち帰えり奉納した石で、かつてはロシアの砲弾が乗っていたそうです。今は水飲み場です。砲弾はどんな形で、何処に置いてあったのか、色々想像しながら、話に花が咲きました。

梅雨の中での街歩きでしたが、局地的ににわか雨があったものの、
ツアー中はほとんど傘をささずに、街歩きができました。
久しぶりの街歩きは外気が、気持ちの良い時間でした。

皆さんとの「街歩きツアー」が早くできると嬉しいです。

2021年・旧古河庭園と飛鳥山公園の薔薇と紫陽花ツアー

「としま案内人 駒込・巣鴨」は街歩きツアーの再開を今夏までは中止をしています。秋にはコロナ感染状況を見ながら判断をして、街歩きツアーを再開していく予定です。

6月7日(月)と8日(火)に行った旧古河庭園と飛鳥山のお花をお楽しみください。

 旧古河庭園のバラがまだ咲いていました

 梅園にたくさんの梅が落ちています

これから飛鳥山公園です。

 飛鳥山公園にお土産館ができました

 

「青淵文庫」ステンドグラスが見事です。

「晩香炉」洋風茶室なので、椅子やテーブルが設えてあります。

渋沢史料館は入館料300円で、史料館、晩香炉、青淵文庫が見学できます。
現在は事前申し込みが必要で、予約をしないと入館できません。

次回は皆さんと一緒に街歩きを!! 楽しく詳しい解説が付いてきます。

 

 

駒込の桜めぐり

3月26日(金)
コロナウイルスの広がりを受けて中止をしている「駒込桜ツアー」のコースを歩いてきました。

 

 

 

 

 

平成9年に開園した、駒込駅前の「染井吉野桜記念公園」から出発です。

 

 

 

 

 

本郷通りにある「子育て地蔵」の前の横断歩道を渡ります。

太田道灌が先勝祈願したとされている

豊島区で最も古い歴史のある「妙義神社」は一部が新しくなりましたが、
まだ工事が続いています。

「私の庭 みんなの庭」と染井通りの桜です。

蔵が桜の後ろに見えます

 

 

 

藤堂家下屋敷の裏門を移築したといわれている腕木門と昭和11年建築のコンクリート造りの蔵がある「門と蔵のある広場」です。

 

伊藤伊兵衛政武の墓

 

 

 

 

西福寺前の桜も満開です。今日は道路工事をしていました。
伊藤伊兵衛三之丞・政武親子は園芸書や今の植物図鑑にあたる錦繍枕、地錦抄などを出版しました。

 

 

 

 

 

 

 

染井よしの桜の里公園は色々な種類の桜が植えられています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

都立染井霊園には人々が集える広場もあります。
来年は皆さんと一緒に桜を楽しみたいです。
当会のツアーは夏以降に再開を検討しています。
それまで、このページをお楽しみください。

駒込の河津桜は満開です

駒込駅や巣鴨駅から10分もかからない場所に「染井よしの桜の里公園」はあります。例年、桜の時期には当会が主催している「ソメイヨシノ発祥の地 散歩ツアー」のコースに含まれている公園です。今年はコロナウイルスの感染状況を考慮して、「街歩きツアー」の開催の有無を検討をしています。

  2月19日河津桜

 

染井よしの桜の里公園