街歩き研修「としま案内人長崎町」のガイドさんによる「千川上水を歩く」

私達のガイド研修の一環として行っている、「他団体のガイドから学ぶ」
研修の第3回目を「としま案内人長崎町」
にお願いしたところ、
快諾していただきました。
としま案内人長崎町のガイド会は多くのコース
をお持ちのようです。
その中で、私たちの案内エリアにも名残がある、
千川上水の上流の「千川上水を歩く」コースガイドをお願いしました。

2月26日(日)13:00~15:30の予定で、「としま案内人長崎町」
のガイドさん4人と当会員は10名の参加です。
西武線池袋線東長崎駅を出発し、東京メトロ有楽町線千川駅まで
約2.5kmを約150分で歩きました。
体力のある参加者は粟島神社まで、案内をしていただきました。
大塚三業地を流れていた谷端川はこの粟島神社の池から流れ出ているそうです。

東長崎駅構内に大きな千川上水を紹介しているポスターがあります。

西武池袋線「東長崎駅」→五郎久保稲荷神社→岩崎家住宅→清戸道→
籾山牧場跡→水番所跡→千川通り(基点) →西原不動尊→千川上水跡(暗渠) →
築樋跡→庚申塔→千川親水公園→千川上水跡(緑道) →長崎分水跡→
東京メトロ有楽町線千川駅」

五郎窪稲荷神社は住宅街の中にホッとする、空間を作っていました。

江戸時代末期の建物を復元

岩崎家住宅は明治の頃は肥料問屋や糠を商っていました。
あの三菱財閥の岩崎家とは関係はないそうです。

ここに橋がありました。

千川上水は小石川や浅草にあった将軍の御成御殿と
江戸北西部の武家屋敷や町家へ給水するために
元禄9(1696)年に掘られた水路です。

水流の音がきこえるのかな?

今は暗渠になっているのですが、水は流れているのでしょうか。

千川上水本流、長崎分水暗渠の上を歩き、途中に水番所跡もありました。

千川上水は上水(水道)としての役目より、沢山の支流に分水した先の、畑作の灌漑用水の役割も果たすようになり、長崎町はそのおかげで豊かな村になったそうです。

“うちわ”を使ってガイドです

豊富な地図や絵を使って丁寧な説明や、暗渠になっている千川上水の坂の傾斜を体感させいただいたり、「おまけ」の淡島神社では団扇(うちわ)の紙芝居で、神社の民話を語っていただいたき、工夫がいっぱいでした。
今後のガイドの参考になることも多く、有意義な研修が出来ました。
「としま案内人長崎町」のガイドの皆様、ありがとうございました。