2024年11月15日(金) 10:00 ~ 12:30 ⛅
中山道を歩く
JTBのOB・OGのグループで「ゆっくり歩く中山道」コース
11月15日(金)参加者26名の方々と10:00「日本橋」出発~12:30「東京大学」到着、その後昼食のコースでした。
朝からの雨が止み、和気あいあいで、お話をしながらの楽しい街歩きでした。
日本橋を10時に出発しました。

中山道は江戸時代に整備された五街道のひとつで、日本橋と京都の三条大橋まで宿場は69次あります。
日本橋の中央に日本の道路起点を示す「日本国道路元標」が埋め込まれています。

熈代勝覧(きだいしょうらん)は1805年(文化2年)頃の日本橋を描いていて、絵師は不明です。三越前駅にある物は1.4倍のサイズの複製です。描かれているのは身分違う様々な人、犬、馬、牛,猿、鷹などです。


熈代勝覧は江戸時代の 日本橋通りを描いています



交通博物館跡地には1912年(M45)開業した万世橋駅がありました。
辰野金吾が設計し、豪華な赤煉瓦作りの駅でした。


旧万世橋駅のホーム階段 上って行くとフリースペースがあります



道路にある地図を使って案内もします。


皆様が団体行動にとても慣れていて、集合時間や街歩きなどとても手際が良く助かりました。
この地域に勤務されていた方が多くいらして、色々な商店のこと、ビルに入っていた企業の話など昔話に花が咲き、私達もJTBの方々から話題を提供して頂いたりで、楽しく街歩きができました。皆様、ありがとうございました。













































王子駅前のサンスクエアに
7月3日に発行される新札の偽造防止技術について詳しく紹介している一階を見学。一億円の重さも体験!!
江戸時代からの桜の名所 飛鳥山には、アスカルゴ(モノレール)で登りました。
建物は焼けてしまいましたが、踏み石や手水鉢から広間付きの茶室を想像してみてください。
日本橋兜町の第一国立銀行内にあった洋風の珍しい社で、1897年(明治30)、移築されました。今では一部を残すのみです。
渋沢栄一はこの神社の氏子でした。
日光御成街道(岩槻街道)の二里目の一里塚です。大正時代、東京市電の軌道延長のため撤去されそうになりましたが、渋沢栄一や地元住民の運動によって保存に成功しました。
渋沢栄一の91年に及ぶ生涯と、渋沢栄一が関わった様々な事業や多くの人々との交流を展示しています。
1917年(大正6)竣工の建物で、栄一の喜寿(77才)を祝って清水組(現清水建設株式会社)が贈り、国内外の賓客を迎えるレセプションルームとして使用されました。室内の調度品や家具は当時の最高の技術が使われています。
1925年(大正14)竣工で、渋沢栄一の傘寿(80才)の祝いと男爵から子爵に昇格した祝いを兼ねて、書庫として「竜門社」から栄一に贈られました。


江戸時代、6街道の出入口に地蔵尊が置かれ江戸六地蔵と呼ばれました。中山道はここ眞性寺、旅人はお地蔵様に旅の安全を祈願しました。

立川流真打の立川志らら氏と大正大学が共同で運営している「ガモール志学亭」は大正大の学生が説明してくれました。
留学生に手水鉢の作法を教えたら、皆さん興味津々にフォローしてくれました。
4の日は縁日で露店もいっぱい!!















