「染井霊園と周辺の古刹巡り」

10月21日(土)10:00~12:15 ☀

【コース】 巣鴨駅→眞性寺→どげぬき地蔵・高岩寺→豊島市場・巣鴨御薬園跡→本妙寺→すがも平和霊苑→慈眼寺→勝林寺→蓮華寺→専修院→染井霊園→巣鴨門→高岩寺解散

巣鴨駅北口


巣鴨駅北口集合

爽やかな街歩き日和の中、巣鴨駅北口
から 染井霊園 周辺を巡り とげぬき地蔵(高岩寺)まで、7名のお客様をご案内しました。
お客様からは参加人数が少なくて良かったとの声も!!

江戸六地蔵尊 眞性寺

 

 

江戸六地蔵尊 眞性寺
江戸時代 巣鴨のお地蔵様と言えばこの中山道口の眞性寺の地蔵尊でした。
現在は高岩寺の とげぬき地蔵 が有名になりました。

 

 

徳栄山總持院本妙寺ご参加の塚本様から提供

 

徳栄山 惣持院 本妙寺
案内板を見ながらお寺についてご説明、明暦の大火供養塔、遠山金四郎、千葉周作のお墓をご案内しました。

塚本様お写真ありがとうございました。

 

 

 

慈眼寺 比翼塚の前

 


日蓮宗 正寿山 慈眼寺

伊之助・三芳野の比翼塚、芥川龍之介
谷崎潤一郎のお墓をご案内しました。

萬年山 勝林寺

 

 

 

 

臨済宗 妙心寺派 萬年山 勝林寺
お寺のご厚意により豊島区重要文化財指定のご本尊木造釈迦如来坐像を拝観できました。ありがとうございました。
近年功績が見直されている田沼意次のお墓をご案内しました。
2025年放送予定のNHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」では、田沼意次を渡辺謙が演じます。
主演は横浜流星

染井霊園の桜

 

 

染井霊園Ⅰ
霊園は桜の名所でもあり、春には見事な花を咲かせます。

 

 

 

染井霊園 巣鴨門付近

 

染井霊園Ⅱ
芸術家の高村光雲、光太郎、智恵子。北海道を名付けた松浦武四郎、総理大臣を務めた若槻礼次郎と幣原喜重郎。東洋のジャンヌダルク福田英子や東洋のナイチンゲール、ロダスカ・ワイリックなどをご案内しました。
巣鴨門の案内板を見ながら

 

高岩寺境内

 

 

とげぬき地蔵尊 高岩寺Ⅰ
二代目の洗い観音に行列ができていました。お水をかけて手拭いで洗いお参りされています。その横でとげぬき地蔵について

 

 

曹洞宗 萬頂山 高岩寺

 

 

とげぬき地蔵尊 高岩寺Ⅱ
最後にお客様から、「地蔵通り商店街にはよく来ているが、染井霊園には初めて行った、今度はお友達を案内したい。」
「いつも見ているお寺や霊園の知らない話が聞けて良かった。」との声がありました。
時間が超過してしまいましたが無事に終了することができました。
参加者の皆様ありがとうございました。


 

渋沢栄一ゆかりの飛鳥山の紫陽花と旧古河庭園のバラを訪ねる

6月24日(土)9:45 – 12:00  晴れ時々曇り晴れの天気マーク

旧古河庭園から飛鳥山公園まで15名の参加者(3グループ)
をご案内し、花と散策を楽しみました。旧古河庭園では、洋
館と日本庭園をご案内後、バラ園(2番バラが見頃)を楽しみ
ました。

本郷通り沿いに、平塚神社~滝野川公園(御殿前遺跡)~東京
高等蚕学校跡~印刷局東京工場~西ヶ原一里塚~七社神社、
最後に紫陽花の名所の一つである飛鳥山公園飛鳥の小径を散
策して、JR王子駅付近にて解散となりました。

旧古河庭園では、春の2番バラが見頃となっていました。
旧古河庭園では、小川治兵衛の日本庭園を巡ったのち、バラ園をゆっくり見ていただきました。「あなたのお好きなバラはどれでしたか? 色、香り、形、名前は?」
本郷通りを歩きながら、平塚神社名の由来(源義家兄弟)、古の豊島郡中心地、明治の蚕糸学校の発祥の地、国立印刷局(渋沢栄一新1万円札印刷中!)、渋沢栄一らが守った西ヶ原一里塚、同氏ゆかりの七社神社をご案内しました。
飛鳥山公園の旧渋沢庭園では、渋沢栄一が賓客をもてなした「晩香盧」や「青淵文庫」などをご紹介しました。
飛鳥の小路では、ガクアジサイや大輪の西洋アジサイなども楽しめました。

暑さも厳しくはなく天気にも恵まれ、少し心配された「バラ
もアジサイも?」、両方楽しむことができました。10-90代
の幅広い年齢層の皆様に参加いただきましたが無事に終了す
ることができました。

参加者の皆様、お疲れ様でした。

 

早稲田大学外国人留学生と巣鴨地蔵通り街歩き

6月20日(火)34名の外国人留学生の皆さん
と巣鴨地蔵通りを歩き、日本文化などを紹介しま
した。日本語がとても達者で楽しい街歩き、食べ
歩きとなりました。

街歩き後は、企画された早稲田大学森下先生、大
正大学出川先生他との振り返りに参加し、今後の
予定等、情報交換しました。

庚申塚より笑顔でスタート

金太郎飴をゲット
豆大福発見!

真性寺にて

大人数の街歩きでしたが、6つのグループ(当会
が3班、早稲田大学シニアボランティア3班、そ
の他早稲田大学の学生チューター並びに学生ボラ
ンティア、大正大学学生も参加)に分かれて日本
の文化の説明をしたり、食べ物関係のお店で並ん
でみたり、大学生の皆さんとの交流も深まりまし
た。ご参加いただきました皆様、関係者の皆様、
有難うございました。

「三菱・岩崎家四代と駒込」駒込地域文化創造館・講座第二弾

「三菱・岩崎家四代と駒込」をテーマに、駒込地域文化創造館の地域文化事業の一環として「としま案内人駒込・巣鴨」が講演と街歩きを行いました。
6月3日(土)10:00~12:00 駒込地域文化創造館 18名参加

第一部:三菱財閥の創業者岩崎四代の人物像・経営手段
第二部:三菱社の組織づくり・業績
第三部:岩崎家と駒込の関わり・文化的な一面

6月4日(日)10:00~12:00 街歩き(3班) 13名参加

染井吉野桜記念公園⇒六義園⇒東洋文庫⇒大和郷幼稚園⇒47億の物件⇒旧加藤高明邸⇒染井橋⇒門と蔵のある広場⇒西福寺・染井稲荷神社⇒染井よしの桜の里公園⇒三菱重工社宅⇒岩崎家墓所⇒染井霊園三菱関係者墓所⇒三菱養和会⇒巣鴨信金前で解散

講座風景
さあ、出発です
六義園のレンガにも時代が読み取れます
大和郷幼稚園
川田家墓所
豊川家墓所

3月の第一回目の「三菱・岩崎家四代と駒込」講座が定員を超えての応募でした。今回も同じテーマでの追加講座でしたが、練習やリハーサルを重ね、資料も選択しましたので、岩崎四代の話を身近に興味深く感じていただけたのではないかと思います。お客様からは、「いつも歩いているところで土地勘はあるが、岩崎/三菱とこんなに縁がある場所とは知らなかった。勉強になりました」「三菱・岩崎家について、知っていそうで知らなかった」等の感想をいただきました。

ご参加下さいました方々、ありがとうございました。

旧古河庭園

5月9日(火)の旧古河庭園です。この時期のバラは一番バラです。

6月24日(土)は旧古河庭園の2番バラと飛鳥山の紫陽花を楽しみな
がら歴史散歩をする「飛鳥山の紫陽花と旧古河庭園のバラを訪ねる」
ツアーを開催しました。

お花見ツアー「駒込・染井」

3月26日(土)は花曇りでしたが、桜は8分咲きといったところで、充分にお花見を楽しまれたのではないでしょうか。
私達も2年ぶりでお客様と一緒のツアーが出来て、たいへん嬉しいツアーでした。

駒込駅を10時に出発し、大国神社⇒染井通り⇒門と蔵のある広場⇒西福寺     ⇒染井稲荷神社⇒染井吉野さくらの里公園(トイレ休憩)⇒染井霊園⇒高岩寺
まで、約2時間の行程です。

染井吉野桜記念公園
染井通りに向かって

駒込駅北口にある「染井吉野桜記念公園」から出発です。
染井橋の近くでチョット想像してもらっています。
1860年に来日したイギリス人植物学者、ロバート・フォーチュンも
驚嘆した、植木屋が1マイルも直線で並んでいた染井通り。
当時、江戸が植木ブームでした。

国の「登録有形文化財建造物」の蔵
蔵の内部

 

 

 

 

里帰りした染井吉野桜

門と蔵のある広場は江戸時代、植木屋として活躍した丹羽家が住んでいた土地を広場にしました。コンクリート造りの蔵は昭和11年の造りで、昭和初期の建築技術を見ることができる。蔵は3/25〜4/10まで、毎日公開する予定で、今回は内部の写真が撮れました。ワシントンから里帰りした染井吉野も植えられています。

西福寺前の桜
豊島区立駒込小学校
この桜は地域の桜開花の標準木です
染井よしの桜の里公園

染井よしの桜の里公園にはソメイヨシノ、エドヒガンザクラ、オオシマサクラ、キリン、河津桜、寒緋桜、ウコン、枝垂れ桜があります。

染井霊園は桜が満開でした。

高岩寺

高岩寺で解散です。この中に書ききれない沢山の情報を提供しています。
これからも、楽しく、あまり知られていないことをお話していきます。
次回は「旧古河庭園と飛鳥山」です。ご参加をお待ちしています。

 

 

 

 

 

 

巣鴨地藏通りの今昔

巣鴨地域文化創造館地域文化事業の一環として
「としま案内人駒込・巣鴨」が講演と街歩きを行いました。

3月5日(土)約2時間の座学。
1 遺跡調査から見た巣鴨・地蔵通り
2 幕末以降の災害・戦争と巣鴨
3 東京大空襲の巣鴨と復興、そして今

3月6日(日)約2時間で、巣鴨地域文化創造館~眞性寺をガイドしました。

①巣鴨創造館⇒②庚申塚⇒③明治女学校⇒④大日堂⇒⑤延命地蔵⇒⑥種子屋⇒⑦鴨台観音堂-⇒⑧庚申塚遺跡⇒⑨巣鴨創造館⇒⑩鍛冶屋跡遺跡⇒⑪本妙寺(明暦の大火供養塔・ 遠山の金さん)⇒⑫すがも平和霊苑慰霊碑⇒⑬染井霊園(近衛銃工長、小河一敏、藤堂高猷、 幣原喜重郎、ロダスカ・ワイリック、正木退蔵)⇒⑭高岩寺⇒ 15眞性寺(震災碑・日露戦争碑等)

巣鴨近辺の遺跡発掘の話は”日本列島に渡来した人々”から始まりました。
続いて、都立大塚ろう学校で発掘された黒曜石や落とし穴の写真、巣鴨一丁目の遺跡で発見された弥生土器と勾玉・管玉、江戸時代の地藏通りで発掘されたトックリなどの出土品の写真や現物の展示品を見て頂き、同時に巣鴨の歴史も講演しました。

 「幕末以降の災害・戦争と巣鴨東京大空襲の巣鴨と復興」では
巣鴨三丁目から発掘された、現場の本物の焼夷弾の不発弾が展示され、
ビデオなども使って空襲の様子が具体的にお話しできました。
現地見学では「大日堂」「延命地蔵」などに空襲の痕を見ました。

 

巣鴨庚申塚・猿田彦神社
このお堂には庚申講の人が 60 日に 1 度の庚申の日に集まり、一晩寝ずに徹夜をした場所で、 創建してから約 500 年も経っている。明治になって庚申の「申」が「さ る」と読むので道と境界の守り神の猿田彦大神を千葉から勧請している。

大日堂
徳川2代将軍秀忠とその夫人に仕えた春海和尚が二人の供養のため、承応2年(1653)石造の大日 如来を安置した小堂。昭和 20 年 4 月 13 日の巣鴨大空襲の直撃を受け、大日如来は頭部、両腕を失ったが、平成 12 年、地元の奉賛 会の熱意により復元された。

種子屋街道
西巣鴨付近の中山道は種子街道とよばれ、行き来する旅人が故郷土産に野菜の種を買っていった。写真の家は街道側のガラスに「東 京種苗株式會社」とある。西巣鴨付近の中山道は種子屋街道とよばれ、行き来する旅人が故郷土産に野菜の種を買っていった。写真の家は街道側のガラスに「東京種苗株式會社」とある。このあたりは巣鴨大空襲の焼失からかろうじて免れ、戦前の家が残っている。

すがも鴨台(おうだい)観音堂(さざえ堂)
大正大学構内に、平成 25 年(2013)、大乗仏教精神に基づく建学の理念「知恵と慈悲の実践」を形 にし、「巣鴨」との地域交流の場となることも願い建てられた仏教文化施設。

本妙寺
本妙寺は明暦 3 年(1657)1 月 18 日の「明暦の大火(振袖火事)」の火元の一つとされ、この大火 で亡くなった人々の菩提を弔うために建てられた供養塔がある。

すがも平和霊苑
昭和 63 年(1988)高野山真言宗功徳院(本院は大分県)によって、巣鴨に開設された。昭和 20 年 3 月 4 日の巣鴨空襲で、庭の防空壕にいた幼い 3 姉妹が亡くなっり、その地に平和霊苑が作ら れた。漫画家富永一朗氏(松島住職と同郷)の絵による三姉妹の供養碑が建立された。

近衛銃工長美川氏 の墓
幕末以降の災害・戦争が講演の主題なので、珍しい砲弾型のお墓を紹介した。近衛第一大隊銃工長美川出生士 氏のお墓。日露戦争(明治 38)ではなく明治 44 年 71 歳で亡くなられた。

ホームページではご紹介しきれない、2日間の講演でした。
コロナ禍での活動でしたが皆様、予防対策にご協力をありがとうございました。

 

小学3年生の社会科授業「豊島区や人びとのくらしのうつり変わり」

2月24日(月)に清和小学校、3年生の社会科授業の2時限を使い、
「昔の巣鴨の様子を伝える」についてお話をしました。

事前に先生がまとめて下さった「知りたいこと」はこんなことです。

・昔の学校はどうだったか・給食のこんだてのちがい・
学校で、はやっていたことは

・どんな遊びをしていたか

・おこづかいいは・どんなお手伝いをしていたか・
昔の店は

・食べ物のちがいは・昔のなべものは・昔のおやつやごはんは

・道具のちがいは スマホは・テレビはどんな番組が多かったか(人気番組も)

・昔の のりもの、車は・巣鴨の昔の駅は

・戦争でやけた家をどうたて直したか

・東京オリンピックの前と後の違いは

私達(昭和生まれの当会員)が子供時代に使われていた蚊帳
やオート三輪車などの写真を使い、また、自分の70年前の母子手帳に炭や菓子の配給券が付いていているのを見てもらい、暮らしの移り変わりをお話しました。
戦後の厳しい生活も付け加えました。
講演者の二人とも子供時代を振り返る良い機会になりました。


60年前頃手に入れた貝(ハマグリ?)の化石に、
立ち上がって見ようとする子供もいました。


我が家にある約40年前のかやで、未使用です。
かやは、蚊などの害虫から人などを守るための目の粗い布で
就寝時に天井からつるして使います。

清和小学校の生徒さんから、かわいいいお手紙をいただきました。


私達も子供の頃を思いでして、楽しい授業になりました。

「としま案内人 駒込・巣鴨」のを紹介しているパネルを
廊下に展示してくれています。
私たちは駒込、巣鴨周辺のガイドをしているボランティアです。
また、皆さんとお会いできればいいなと思います。

 

 

巣鴨地域文化創造館 文化カレッジ「染井霊園に見る近代医学を 支えた人々」

巣鴨地域文化創造館の文化カレッジで「染井霊園に見る近代医学を 支えた人々」
の講演を12月11日(土)10時から2時間を座学とし、12月12日(日)は10時から12時まで、染井霊園を巡りました。

 

 

 

講演は館長の挨拶から始まり、各々のテーマに沿って講演をしました。
1.幕末明治期の感染
2.日清戦争後の大検疫
3.緒方正規と北里柴三郎 同郷のライバル
4.病と看護と親孝行 二人の八重
5.染井霊園に眠る多彩な医療関係者達

 

 

 

 

 

 

染井霊園は明治7年に開設され、都営霊園としては一番小さい霊園です。
ここには政治家や文化人など多くの著名人が眠っています。
今回は医療関係者に的を当てて、霊園を廻りました。

染井霊園の手前には「巣鴨御薬園跡」があります。
薬園は寛政10年頃に幕府に仕えた渋江長伯が管理をして、
疾病治療をするために薬用植物を栽培しました。

 

 

 

 

ローデスカ・ワイリックの墓は外人墓地にあります。
日露戦争時、戸山陸軍学校で看護活動やハンセン病患者の施設を
訪問して看護をし、「東洋のナイチンゲール」と呼ばれました。
大正3年57歳で亡くなっています。

 

 

 

 

勝沼清蔵は血液学の権威で西園寺公望の主治医でした。

 

 

加藤照業の墓です。日本初の私立精神病院(瘋癩病院)院長でした

ハンセン病患者の介護などをした、ケート・ヤングマンの墓の前で。

二日目はこのページでは紹介しきれない医療関係者のお墓を
会員が調べて、参加された皆さんと廻りました。
ツアーの終わりに巣鴨地域文化創造館のアンケートに答えて頂きました。
皆様、ありがとうございました。