1月20日(土) 10時 ~ 12時30分
【ルート】
染井吉野桜記念公園(集合) → 木戸孝允邸跡 → 駒込富士神社 → 駒込名主屋敷 → 天祖神社 → 駒込地域活動センター(トイレ休憩) → 吉祥寺 → 天栄寺(解散)
最高気温8度、途中から小雨模様のあいにくのお天気でしたが、2つのグループに分かれ、順次出発しました。
初夢に見ると縁起が良いと言われる三つを詠んだ郷土自慢の川柳
「駒込は一富士 二鷹 三茄子」
をボランティアガイドがご案内!!
「染井吉野桜発祥の里 駒込」の碑の前で駒込の植木屋 伊藤伊兵衛についてのお話。
今はマンションが建つていますが、江戸時代、旗本本郷丹後守の屋敷でした、明治になると木戸孝允の邸宅となりました。
木戸孝允(桂小五郎)は西郷隆盛、大久保利通と並び「維新の三傑」と称されました。
明治天皇は、病に倒れた木戸孝允を2度お見舞いに訪れています。
江戸時代 富士神社は富士山信仰の拠点として栄えました。
多くの富士講ができ、その年の代表者が実際に富士山に登り残った人達は富士神社の富士塚に上りました。
富士山の山開きに合わせ7月1日の前後3日間は神社の境内でお祭りがあり、疫病退散の麦藁蛇も頒布。
江戸時代、駒込富士神社辺りは名物の駒込茄子が栽培されていました。
町火消の纏の石碑が多くあります。
加賀藩の大名火消(加州)の石碑もあります。
木花咲耶姫(このはなさくやひめ)を祀る駒込富士山頂の本殿からはかって富士山が見えました。
駒込村の総鎮守 駒込天祖神社
祭神は天照皇大神
参道脇には、たくさんの神輿蔵があります。
この辺りには鷹狩のための鷹匠屋敷や御鷹部屋、御鷹仕込場がありました。
社殿の前の御神木(楠)
社殿の裏に、「御鷹組中」と刻まれた石柱が残っています。
吉祥寺は、明暦の大火後、水道橋から駒込へ移ってきました。
その折、檀家は今のJR吉祥寺周辺に移り住みました。
JR吉祥寺駅付近には吉祥寺というお寺はありません。
日本紀行文学会がお七誕生300年記念に昭和41年(1966)に建立し、平成19年(2007)年に再建したもの。
吉祥寺は東京大空襲でほとんど焼けてしまいましたが、山門とこの経堂だけは残りました。
榎本武揚、鳥居燿蔵、二宮尊徳等の墓があります。
天栄寺境内にあったサイカチの木陰で、江戸に野菜を売りに行く百姓が休んでいると野菜を目当てに人が集まり、お店が増えていきました。
駒込土物店と呼ばれ、千住・神田と並び江戸の三大青物市場の一つになりました。
雨の中、天栄寺のサイカチの木の前で説明しているところです。
お客様は寒い中、熱心に耳を傾けてくださり、最後まで完歩されました。
ご参加いただきまして、本当にありがとうございました。