巣鴨地藏通りの今昔

巣鴨地域文化創造館地域文化事業の一環として
「としま案内人駒込・巣鴨」が講演と街歩きを行いました。

3月5日(土)約2時間の座学。
1 遺跡調査から見た巣鴨・地蔵通り
2 幕末以降の災害・戦争と巣鴨
3 東京大空襲の巣鴨と復興、そして今

3月6日(日)約2時間で、巣鴨地域文化創造館~眞性寺をガイドしました。

①巣鴨創造館⇒②庚申塚⇒③明治女学校⇒④大日堂⇒⑤延命地蔵⇒⑥種子屋⇒⑦鴨台観音堂-⇒⑧庚申塚遺跡⇒⑨巣鴨創造館⇒⑩鍛冶屋跡遺跡⇒⑪本妙寺(明暦の大火供養塔・ 遠山の金さん)⇒⑫すがも平和霊苑慰霊碑⇒⑬染井霊園(近衛銃工長、小河一敏、藤堂高猷、 幣原喜重郎、ロダスカ・ワイリック、正木退蔵)⇒⑭高岩寺⇒ 15眞性寺(震災碑・日露戦争碑等)

巣鴨近辺の遺跡発掘の話は”日本列島に渡来した人々”から始まりました。
続いて、都立大塚ろう学校で発掘された黒曜石や落とし穴の写真、巣鴨一丁目の遺跡で発見された弥生土器と勾玉・管玉、江戸時代の地藏通りで発掘されたトックリなどの出土品の写真や現物の展示品を見て頂き、同時に巣鴨の歴史も講演しました。

 「幕末以降の災害・戦争と巣鴨東京大空襲の巣鴨と復興」では
巣鴨三丁目から発掘された、現場の本物の焼夷弾の不発弾が展示され、
ビデオなども使って空襲の様子が具体的にお話しできました。
現地見学では「大日堂」「延命地蔵」などに空襲の痕を見ました。

 

巣鴨庚申塚・猿田彦神社
このお堂には庚申講の人が 60 日に 1 度の庚申の日に集まり、一晩寝ずに徹夜をした場所で、 創建してから約 500 年も経っている。明治になって庚申の「申」が「さ る」と読むので道と境界の守り神の猿田彦大神を千葉から勧請している。

大日堂
徳川2代将軍秀忠とその夫人に仕えた春海和尚が二人の供養のため、承応2年(1653)石造の大日 如来を安置した小堂。昭和 20 年 4 月 13 日の巣鴨大空襲の直撃を受け、大日如来は頭部、両腕を失ったが、平成 12 年、地元の奉賛 会の熱意により復元された。

種子屋街道
西巣鴨付近の中山道は種子街道とよばれ、行き来する旅人が故郷土産に野菜の種を買っていった。写真の家は街道側のガラスに「東 京種苗株式會社」とある。西巣鴨付近の中山道は種子屋街道とよばれ、行き来する旅人が故郷土産に野菜の種を買っていった。写真の家は街道側のガラスに「東京種苗株式會社」とある。このあたりは巣鴨大空襲の焼失からかろうじて免れ、戦前の家が残っている。

すがも鴨台(おうだい)観音堂(さざえ堂)
大正大学構内に、平成 25 年(2013)、大乗仏教精神に基づく建学の理念「知恵と慈悲の実践」を形 にし、「巣鴨」との地域交流の場となることも願い建てられた仏教文化施設。

本妙寺
本妙寺は明暦 3 年(1657)1 月 18 日の「明暦の大火(振袖火事)」の火元の一つとされ、この大火 で亡くなった人々の菩提を弔うために建てられた供養塔がある。

すがも平和霊苑
昭和 63 年(1988)高野山真言宗功徳院(本院は大分県)によって、巣鴨に開設された。昭和 20 年 3 月 4 日の巣鴨空襲で、庭の防空壕にいた幼い 3 姉妹が亡くなっり、その地に平和霊苑が作ら れた。漫画家富永一朗氏(松島住職と同郷)の絵による三姉妹の供養碑が建立された。

近衛銃工長美川氏 の墓
幕末以降の災害・戦争が講演の主題なので、珍しい砲弾型のお墓を紹介した。近衛第一大隊銃工長美川出生士 氏のお墓。日露戦争(明治 38)ではなく明治 44 年 71 歳で亡くなられた。

ホームページではご紹介しきれない、2日間の講演でした。
コロナ禍での活動でしたが皆様、予防対策にご協力をありがとうございました。