巣鴨地域文化創造館 文化カレッジ「染井霊園に見る近代医学を 支えた人々」

巣鴨地域文化創造館の文化カレッジで「染井霊園に見る近代医学を 支えた人々」
の講演を12月11日(土)10時から2時間を座学とし、12月12日(日)は10時から12時まで、染井霊園を巡りました。

 

 

 

講演は館長の挨拶から始まり、各々のテーマに沿って講演をしました。
1.幕末明治期の感染
2.日清戦争後の大検疫
3.緒方正規と北里柴三郎 同郷のライバル
4.病と看護と親孝行 二人の八重
5.染井霊園に眠る多彩な医療関係者達

 

 

 

 

 

 

染井霊園は明治7年に開設され、都営霊園としては一番小さい霊園です。
ここには政治家や文化人など多くの著名人が眠っています。
今回は医療関係者に的を当てて、霊園を廻りました。

染井霊園の手前には「巣鴨御薬園跡」があります。
薬園は寛政10年頃に幕府に仕えた渋江長伯が管理をして、
疾病治療をするために薬用植物を栽培しました。

 

 

 

 

ローデスカ・ワイリックの墓は外人墓地にあります。
日露戦争時、戸山陸軍学校で看護活動やハンセン病患者の施設を
訪問して看護をし、「東洋のナイチンゲール」と呼ばれました。
大正3年57歳で亡くなっています。

 

 

 

 

勝沼清蔵は血液学の権威で西園寺公望の主治医でした。

 

 

加藤照業の墓です。日本初の私立精神病院(瘋癩病院)院長でした

ハンセン病患者の介護などをした、ケート・ヤングマンの墓の前で。

二日目はこのページでは紹介しきれない医療関係者のお墓を
会員が調べて、参加された皆さんと廻りました。
ツアーの終わりに巣鴨地域文化創造館のアンケートに答えて頂きました。
皆様、ありがとうございました。