旧中山道を巣鴨駅前から縁切り榎まで

「としま案内人 駒込・巣鴨」の定番案内コースの“旧中山道ツアー”を巣鴨駅前から大正大学までを19日(金曜日)・20日(土曜日)は大正大学から板橋区の縁切り榎までと区切り2日間で歩きました。

土曜日・日曜日の両日参加の方は4名で、全体で18名の参加でした。このコースを“1日で完結できないか”という意見もあり次回はもっと工夫をしてコース作りをしていきます。

 

巣鴨駅前から見る旧中山道。地藏通り商店街のソーラーパネルが見えます。

 

 

 

眞性寺は江戸時代から中山道を下る旅人を見守ってきました。江戸庶民、約1万2千人の寄進により作られたといわれ、台座にも寄進者の名前が刻まれています。

 

 

 

巣鴨庚申塚の由来や庚申信仰について説明しました。

 

 

 

女子教育発祥の明治女学校跡。明治18年設立、明治30年に巣鴨に移転してきました。校長は巌本善治(染井霊園に墓がある)ここで学んだ有名人についてもお話をしました。

 

 

 

 

延命地蔵尊は中山道で行き倒れになった人馬の供養塔です。地元の人も良く知らない所も詳しく説明をしていきます。

 

 

千川上水公園

江戸時代の飲料水として玉川上水から分水し豊島区内を流路として六義園、本郷、湯島まで流れていました。時代と共に用途は変化していきます。

 

東光寺

この辺りから加賀藩前田家下屋敷がありました。この寺に宇喜多秀家の墓があります。さて、どういう経緯でここに墓があるのでしょうか?このような解説も取り入れた案内をしています。

 

 

 

 

観明寺の庚申塔

この塔は江戸時代初期に作られ板橋区内では最古の庚申塔といわれています。

 

 

 

仲宿にある文殊院には板橋宿にあった遊郭の遊女の墓があります。墓石に「遊女の墓」とあります。

20日は大正大学➡千川上水公園➡亀の子たわし西尾商店➡平尾一里塚➡近藤勇墓所➡東光寺➡観明寺➡遍照寺➡板橋観光センター➡板橋本陣➡高野長英潜伏場所➡文殊院➡縁切り榎と回りました。

 

縁切り榎

嫁入りの行列が通ると縁が切れると言われ、皇女和宮が降嫁の際、ここを避けて新道を通ったという逸話があります。今回はここで解散です。

参加していただいた方々、ありがとうございました。時間が少しオーバーしてしまい申し訳ございませんでした。

5月24日(金)・25日(土)に染井霊園ツアーを予定しています。ホームページでは5月1日(水)から募集を行います。

ご応募お待ちしています。